「本当に我侭言ってごめんなさい」
「あら、春夏さんは嬉しいわ。タカくんの我侭なら何でも聞いちゃうから」
いつもより低い視線。
車椅子の視線から見るものは、何もかもが新鮮だった。
自分で自由に動き回ることが出来ないから、春夏さんに押されるままに病院の中を見て回る。
病院自体は何度か来たことがある場所だけど、こんな一般病棟に入るのは初めてだし。せいぜいが内科とか外科の診療室までだったから、病院のなかで一日を過ごす人がこんなに沢山いるなんて思ってもみなかった。
同じ色の患者服を着て、スロープを片手で掴んで歩くおじいさん。松葉杖を突いて歩く同じくらいの年の男は、リハビリだろうか。忙しそうに小走りで移動する看護婦さん。
ここ数日で大体顔を覚えられてしまったのか、車椅子に乗っているとすれ違いざまに「よかったね」とか「頑張ったね」とかの言葉が掛けられる。
なんとなく照れくさくて、会釈する程度にしか返事ができないけど、本当に病室の外に出られることが純粋に嬉しくて、掛けられる言葉の意味がよく分かった。
それだけ、室内に篭りきりの状態が辛いことを、みんな知っているんだろう。だから笑って、外に出られたことが「よかったね」とか、辛い日々を過ごしてきて「頑張ったね」と言ってくれる。
正直に言えば、病院の中なんて何処もそれほど面白いものではない。
だけどそれでも、自分の視界がこうして動いていることにさえ感動を覚えてしまう。
だからたっぷり三十分近く、俺は狭い院内をかみ締めるように見て回った。
そしてその最後に、もう一つだけ我侭を言ったのだ。